11月も終わりに近づいていた。その日は朝から小雨のパラつく、寒い一日だ
った。沙也子はストッキングにハネを上げないよう注意しながら、地下鉄の入り
口へと向かっていた。赤坂のダイニングバーで行われる合コンに出席するため
だ。男女各5名ずつ、総勢10名のコンパだった。
　正直言って、沙也子はあまり乗り気ではなかった。飲み会は嫌いではないけ
れど、合コンとなると話は別だ。何も知らない者同士が集まって、無理に盛り
上がることもないと思う。だからなるべく、その手の誘いは断ることにしていたの
に、昨夜遅く
「女の子が一人、急に都合が悪くなっちゃたから出てくれない？」
　と恵理から電話があったのだ。たまたま裕次が先輩の結婚式に招待され、
金曜のうちに郷里へ帰ることになっていたので、一人で週末を過ごすよりはま
しかもしれないと思ったからでもあった。
　約束の店はすぐに見つかった。沙也子はウインドウに映る自分の姿を素早
く点検してから店に入った。金曜日のせいか、店内はすでに混雑していた。恋
人同士とおぼしきカップル、女の子同士のグループ、会社帰りのような集団な
どで、ほとんど満席状態だ。
　薄暗い店内を見渡しながら、自分で探すのと店の人に聞くのとどっちが早い
だろうと考えていると、奥の方の席で恵理が手を振っているのが見えた。
「お待たせしました、中川さんが今やっと到着しました」
　恵理が威勢のいい声を上げ、メンバーたちから大きな拍手が起こった。男性
人の中には、オォーと声を上げる者までいる。かなり熱烈な歓迎ぶりだった。
黙っているわけにもいかないので、沙也子は自己紹介することにした。
「上野さんの短大時代からの友達で、中川沙也子と申します。××銀行の
日比谷支店に勤めています。今日は出席する予定じゃなかったんですが、欠
員が出たということでピンチヒッターでやってきました。お酒は嫌いな方じゃない
ので、今日はガンガン飲みたいと思います」
　再び大きな拍手が湧き起こり、沙也子は頭を下げながら自分の席に腰を
下ろした。
「じゃあ、今度はみんなを紹介するわね」
　恵理が他のメンバーの紹介を始めた。
「こちらは会社の先輩の渡辺弘さん。いつもお世話になりっぱなしだから、合コ
ンでもしようかってことになったわけ」
　今日のメンバーは、恵理の会社の同僚とこの先輩の友人たちで組まれてい
るらしい。女の子たちは皆22、3歳だが、男性陣は27、8歳というところ。見た
目や服装からすると、一応みんな当たりと言えそうだ。沙也子は紹介される
度に、にこやかな笑顔を向け丁寧に挨拶をした。
　一通り紹介が終わると、グラスにビールが注がれ、乾杯の声が上がった。エ
アコンと人いきれで渇いた喉に、ビールの冷たさが心地良い。喉の渇きが癒さ
れたところで、徐々にお喋りが始まった。まずはお互いの仕事の話から、趣味
や遊びの話へと、途切れることなく会話は進んだ。合コンとしては、なかなかい
い滑り出しだった。後は放っておいても盛り上がるだろう。
　沙也子はようやく一息付くことができた。ここまでくれば、お役御免も同然。
恵理への義理も立つというものだ。後は適当に話を聞き、相槌を打って笑っ
ていればいい。沙也子はそっと欠伸をかみ殺した。
「欠伸するなら、もっとおもいっきりすれば」
　低い声がした。沙也子は危うく舌を噛みそうになった。見ると、向かいの席の
男がじっとこちらを見つめていた。確か、三上涼という名で証券会社に務めて
いる男だ。やはりピンチヒッターで出席してもらったと、さっき恵理が言ってい
た。
　沙也子は急いで周りの様子を窺った。皆、何も気付かなかったようで、楽し
そうに飲んだり食べたりしている。
「欠伸なんかしてませんよ。変なこと言わないでください」
　沙也子は身を乗り出すようにして、小さな声で言った。
「別に隠すことないと思うけどね。欠伸はただの生理現象にすぎないんだから」
「だから、してないって言ってるじゃないですか」
　沙也子はムッとして言い返した。たかが欠伸の一つや二つ、したと認めても
かまわない。だけどこの場合、それが周りのメンバーにどんな不快な気持ちを
与えるか、わからないはずはないだろうに。
「そう、それならそれでかまわないよ」
　三上が言った。
「だけど、出たくもないコンパに出させられた上に、道化の役までやらされてる
君が、ちょっと可哀そうになったんでね」
　沙也子は呆気に取られて三上の顔を見つめた。頭が可笑しいんじゃないか
と思った。自分だって、頼まれてこの席に出ているはずなのに。
　その時、メンバーたちから笑い声が上がった。見ると、男のメンバーの一人が
タレントの物真似をしていた。それは物真似の物真似でしかなく、お世辞にも
うまいと言えるような代物ではなかった。けれども、そのためにかえって笑いを
誘うようなところがあった。
　沙也子は他愛なく輪の中に溶け込んでいった。三上の視線が痛いほど感じ
られたが、気付かない振りをしていた。どうせこの場限りの合コン相手だ。本気
で言い争うなんて馬鹿げている。
　すると、沙也子の視界に入っていた三上の身体が動いた。次いで、
「あーあ」
　という、溜息とも欠伸ともつかない声が聞こえた。メンバーたちの顔が、一斉
に三上に向けられた。三上は肩を押し上げるようにして、大きく伸びをしていた。
そして、ゆっくりと伸びをし終えると、今度は誰の耳にもはっきり聞き取れる声
で言った。
「メンバーが足りないから頼むって言われて来たんだけど、合コンなんて大して
面白いものじゃないな」
　テーブルの空気がサッと険悪になったのがわかった。慌てて渡辺さんが席を
立ってやってきた。
「三上さん、どうかしましたか？」
　渡辺も三上とはあまり親しいわけではないらしく、いろいろ話しかけるのだが
一向に埒があかないようだ。
　そっと目をやると、メンバーたちは不快そうに眉を顰めていたり、ヒソヒソ言葉
を交し合ったりしている。恵理はと見ると、可哀そうに叱られた子供のような情
けない顔付きになっていた。
　何とかしなければ・・・沙也子はとっさにひらめいて、わざと大袈裟にスーツの
袖を捲り上げ、腕時計を見た。時計の針は8時を少し回ったところだ。
「あ、いけない、8時過ぎちゃった。恵理、悪いけど私、そろそろ失礼するわ」
　言いながら、沙也子は立ち上がって恵理の方を見た。瞬間、何のことかわ
からないという顔をした恵理も、すぐに察して立ち上がった。
「あ、そうか。今日は用事があるって言ってたもんね。すみません皆さん、中川
さんは前々からの約束で、今日はこれで帰られます」
　その作戦は見事的中した。白けきっていたテーブルが急にざわつき始めた。
「何だ、もう帰っちゃうのか」
「まだ1時間しかたってないのに」
　みんなの気持ちが三上から逸れたのを確かめると、沙也子は三上の方を向
き直った。
「三上さん、駅まで送っていただけませんか？」
　それは一種の賭けだった。ここで嫌だと言われてしまっては、せっかく思いつ
いた作戦も水の泡になってしまう。運を天に任せるような気持ちだったが、
「いいよ」
　三上は意外とすんなり頷いてくれた。その時、まだ三上の脇に立っていた渡
辺の顔が、心底ほっとしたように緩んだのがわかった。
「それでは皆さん、申し訳ありませんがこれで失礼します。後は皆さんで盛り上
がってください」
　来た時と同じような笑顔を振りまいて、沙也子はテーブルを後にした。店の
戸口まで送ってくれた恵理が、小さな声で
「ありがと」
　と言った。沙也子は任せてよ！と言うようにOKサインを出し、三上の後を追
った。
　晩秋の街は、もう夜の気配に包まれていた。頬に当たる風が、店に入る前
よりも冷たく感じられた。あちこちに燈されたネオンの色も、心なしかさえざえと
して見える。こうして少しずつ、冬へと近付いていくのだろう。
　沙也子は半歩遅れて歩きながら、三上の様子を窺った。顔の表情まではわ
からないが、そうして見る限り変わった様子は見られなかった。けれども、ひと
言も喋ろうとはしない。沙也子を気にするわけでもなく、さっさと歩いて行く。変
わった男だと思った。普通なら、こういう場合、うんざりするぐらい気を使うもの
なのに。
　そんなことを考えながら歩いていると、地下鉄の入り口になっているビルの横
に天津甘栗の夜店が出ているのが見えた。黒い野球帽を被ったおじさんが、
暇そうに道行く人たちを眺めている。
「わあ、甘栗なんて懐かしい」
　ひとり言のつもりで言ったのだが、三上が立ち止まって振り向いた。
「甘栗、好きなの？」
「え？　ええ、まあ・・・」
　答えを聞くなり三上は、
「おじさん、一袋ちょうだい」
　と声を声をかけた。止める間もなかった。本当は、それほど甘栗が好きなわ
けではなかった。けれども、所在なさそうにしていたおじさんが、嬉しそうに顔を
綻ばせて甘栗を袋に詰めているのを見ると、今更いらないとは言い出せなかっ
た。
「まいど、あり」
　おじさんの声に送られて戻ってきた三上が、
「はい、これ」
　と甘栗の袋を差し出した。余程好きだと思ったのか、二千円の大袋の方だ
った。
「・・・ありがとうございます」
　一応礼は言ったものの、何か釈然としないものが残った。好きでもない甘栗
をもらったせいでもあるけれど、それが何であれ、三上にものを貰う理由がなか
った。
「どうしてこんなものを買ってくれるのかわからないって顔してるね」
　三上の言葉に沙也子は頷いた。
「別に理由なんかないよ。君が好きそうだったから買っただけ」
「でも・・・」
「それも理由にならないか」
　三上はふっと皮肉っぽい笑みを浮かべてから、改めて沙也子を見つめて言
った。
「君のことが気に入ったからだよ」
　その意味が、沙也子にはすぐには理解できなかった。半ば口を開けたまま、
三上の顔を見つめていた。
「僕はああいう集まりって大嫌いでね。見も知らない男女が集まって、仲良くお
酒を飲みましょうなんて馬鹿馬鹿しいもいいところだろう？　おまけに女たちは
男に優しくされるのが当たり前だって顔してるし、男は男でそういう女たちの気
を引くことしか考えてない。見てるだけで胸くそが悪くなるよ。だけど友達に頼ま
れて、どうしても断りきれなくてね。2、3時間なら何とか我慢できるかもしれない
と思ったんだけど、やっぱりだめだった」
　そこまで言うと、三上はポケットから煙草を取り出して一本口にくわえた。ラ
イターで火をつけようとするのだが、風が邪魔をしてなかなかつかない。沙也子
は思わず掌を出して、炎が消えないようガードした。ようやく火のついた煙草を
吸い込むと、三上はまた話し始めた。
「だけど、君はちょっと違ってた。ああいう集まりが好きそうにも見えなかったし、
男に優しくされるのが当たり前って顔もしてなかったしね。実にうまく、自分の
役を演じてたよ」
「私、そんなに露骨に出してました？」
　沙也子はひねくれたように言った。悪い意味で言っているわけではなくても、
そうあけすけに言われると、やはりいい気持ちがしない。
「いや」
　三上は強く否定した。
「君は全く出してなかったよ。多分、他の奴等は誰も気付かなかったと思うよ」
「じゃあ、どうして三上さんにはわかったんですか？」
　沙也子は三上を見据えるようにして問い返した。ほんの1時間ぐらい一緒に
いただけで、何もかもわかったような顔をされるのは癪だった。
　三上は短くなった煙草を道路に捨て、靴底で踏み消すと低い声で言った。
「だから言っただろう。君が気に入ったからだよ」