二学期が終わり、三学期が始まった。私と詩織の仲は、ますます親密になってい

った。お揃いのシャープペンシルや消しゴムを使ったり、二人にしかわからない言

葉を考えたり、仲良しの印に互いの鼻をこすり合わせたり･･････。私は毎日詩織の

家へ遊びに行った。暗くて湿っぽい匂いの自分の家より、お話の世界へ迷い込ん

だような気持ちにさせてくれる詩織の家の方がずっと居心地がよかった。

　三学期が始まって間もなく、村上さんという女子生徒の誕生日会が行われた。そ

の頃私たちの間では、誕生日に友達を招いてみんなで遊んだり、ケーキやご馳走

を食べたりするのが流行っていた。詩織と私も招かれていたのだが、私だけ何か

の都合で遅れて行くことになった。

「一緒に行けないの？」

　詩織は不満そうにしていたが、

「じゃあ、なるべく早く来てね」

　別々に行くことを承知した。

　私が村上さんの家に着いたのは、約束の時間よりかなり後だった。何となく気が

引けて門のところから中を覗くと、みんなは庭で円陣のバーレーボールをしていた。

一番手前に詩織がいるのを見つけた私は、ほっとして

「詩織ちゃん」

　と声をかけた。詩織はすぐに気が付いて、嬉しそうに駆け寄ってきた。他の女子

生徒たちも気が付いて、

「弥生ちゃんだ」

　声を上げて詩織の後を追ってきた。

　すると、

「来ちゃだめ」

　詩織がくるりと振り返り、通せん坊をするように両手を広げて叫んだ。みんな驚い

てすぐに立ち止まったが、村上さんだけは私を迎えようとしたのだろう、立ち止まら

なかった。

「来ちゃだめって言ってるでしょ」

　詩織は足元に転がっていたボールを掴み、いきなり村上さんに投げつけた。不意

打ちを食らった村上さんは、尻餅をつくように後ろへ倒れこみ、霜が下りてぬかるん

でいたせいでスカートからセーターまで泥だらけになってしまった。あまりのことに、

詩織の癇癪には慣れっこになっている女子生徒たちも非難の目を向けたが、詩織

は口を閉ざしたまま謝ろうとはしなかった。

「詩織ちゃん、謝った方がいいよ」

　私は詩織の傍へ行き、小さな声で言った。いくら何でも、やりすぎだと思った。

「どうしてよ」

　詩織は私を睨みつけ、噛み付くように言った。

「来ちゃだめって言ってるのに、来る方が悪いんでしょ」

　少しも悪いと思っていないようだった。私はいつになく言い返した。

「でも、ボールをぶつけることないじゃない」

　詩織の顔つきがさっと変わった。

「弥生ちゃんは、詩織より村上さん方が好きなの？」

　低い声で言った。

「詩織は弥生ちゃんのことが一番好きなのに、弥生ちゃんはそうじゃなかったのね」

　私はすぐに返事ができなかった。一番好きなのは、もちろん詩織に決まっていた。

でもそれと、詩織の言っていることとはどこか違うような気がした。

「教えてよ、弥生ちゃん。弥生ちゃんが一番好きなのは誰？」

　詩織は大きな目を更に大きく見開くようにして迫ってくる。私は答えたくなかったけ

れど、その目に逆らうことができなかった。

「……詩織ちゃん」

　呟くように答えた。何だか胸の辺りが、もやもやと気持ち悪かった。

「よかった」

　詩織は満足そうに微笑むと、

「詩織と弥生ちゃんは親友だもんね」

　急に機嫌のいい声になって言った。そして、

「やっぱり村上さんに謝ってくる」

　とみんなの方へ駆けていった。優しい村上さんはすぐに許してくれたようだった。

その後みんなでケーキやごちそうを食べたけれど、私は少しも美味しいとは思わ

なかった。

　詩織と私の関係が、微妙に変化し始めたのはそれからだ。といっても、特に何か

変わったことがあったわけではなかった。私たちは相変わらず、何をするのも一緒

だった。休み時間や昼休み、トイレに行くのも家へ帰ってから遊ぶのも……。けれ

ども詩織と一緒にいると、私は時々逃げ出したくなるような、変な気持ちになること

があった。

　たとえば二人で遊んでいる時、詩織は頻繁に例の質問をするようになった。

「弥生ちゃんが一番好きなのは誰？」

　答えはわかっているはずなのに、毎日のように聞いてくる。少しでも返事をするの

が遅れると、

「本当はそうじゃないんでしょ」

　たちまち機嫌が悪くなる。

「詩織の本当の友達は弥生ちゃんだけよ」

　急に顔を近づけてきて、そんなことを言うこともあった。

「だから詩織は、五年になっても六年になっても、他の誰とも仲良くしない。弥生ちゃ

んもそうするって約束して」

　確かに私は詩織のことが一番好きだったし、ずっと仲良くしたいと心から願ってい

た。だけどそんな風に言われると、もやもやした気持ちの悪さを思い出して逃げ出

したくなってしまうのだ。

　私が掃除当番をしてる詩織を待たずに他の女子生徒と一緒に帰ってしまったの

は、それから間もない頃だった。いつもはそれぞれ当番が終わるのを待って一緒

に帰っていたのだが、たまたま何かの話に夢中になっていて詩織が当番なのを忘

れてしまったのだ。

　私がそのことに気づいたのは、靴箱のところまで行ってからだった。

「あ、詩織ちゃん掃除当番だったんだ」

　慌てて教室へ戻ろうとする私に、

「わざわざ戻らなくてもいいじゃない」

　女子生徒の一人が言った。

「そうだよ、たまには一緒に帰ろうよ」

　別の女子生徒にもそう言われ、つい先に帰ってしまったのだ。どうせ家へ帰ったら

一緒に遊ぶのだからという軽い気持ちからだった。

　ところが、いつものように詩織の家へ遊びに行くと、

「弥生ちゃん、今日学校で何かあったの？」

　お母さんが心配そうに聞いてきた。

「詩織ちゃん、帰ってから一言も口を利いてくれないのよ」

　詩織の機嫌の悪い時、お母さんはよくそうやって私に理由を聞いてきた。ちらっと

先に帰ったことが頭に浮かんだけれど、すぐに消えてしまった。いくら詩織でも、そ

んなことぐらいで機嫌を悪くしないだろうと思った。私が首を傾げると、

「そう……」

　お母さんは困ったように顔を曇らせた。私も心配になってきて、何があったのだろ

うと考えながら詩織の部屋へ向かった。

　詩織は膝を抱えるようにして、ベッドの上に座っていた。

「詩織ちゃん」

　そっと声をかけてみたが、返事はなかった。私は傍に近づいて、

「詩織ちゃん、どうかしたの？」

　顔を覗きこむようにして訊ねた。詩織は怒ったような顔でそっぽを向いている。私

はもう一度声をかけた。

「何か嫌なことでもあった？」

　詩織は急にこちらを向き、私の顔を睨みつけるようにして言った。

「どうして先に帰ったの？」

「え？」

「詩織と弥生ちゃんは親友だから、いつも一緒にいようねって約束したのに、今日

先に帰ったじゃない」

　私はびっくりしてしまった。自分が先に帰ったことで、詩織がそんなに怒るとは思

わなかった。

「弥生ちゃんは詩織のこと、親友だと思ってなかったの？」

　詩織の目が更にきつくなった。私はおろおろしながら言った。

「そんなことないよ。私、詩織ちゃんのこと親友だと思ってる、本当だよ」

「じゃあどうして？　どうして先に帰ったの？」

　私には返事の仕様がなかった。理由など何もなかったからだ。

「やっぱり違うんじゃない」

　詩織が声を上げた。

「弥生ちゃんの嘘つき。弥生ちゃんだけは本当の友達だと思ってたのに。もう弥生

ちゃんとなんて遊ばない。絶対一緒に遊ばないからね」

　いつもの癇癪だった。この先どうなるか、想像するのは簡単だった。私は不意に

何もかも面倒臭くなった。

「だったらそうすればいいじゃない」

　静かに言った。

「詩織ちゃんが私と遊びたくないんなら、そうすればいいじゃない。その代わり、私も

もう詩織ちゃんとは遊ばないから」

　半分ぐらい嘘だったが、残りの半分は本気だった。詩織が遊んでくれないなら、ま

た一人で遊べばいいと思った。一人で遊ぶことには慣れていたし、少しも嫌なことで

はなかった。

　詩織は激しい目つきで私を睨みつけていた。去年の夏、初めて会った日から私を

怯えさせていたあの目つきだった。けれどももう、私はその目を怖いとは思わなかっ

た。