翌日から、詩織は学校へ来るようになった。教室の入り口に詩織の姿が見えた

時、私はちょっとどきりとした。始業式の日のことが、頭の隅に浮かんだからだ。他

の生徒たちも同じ気持ちなのか、みんなお喋りをやめて詩織の方に目を向けた。

騒がしかった教室の中が、急にしんとなった。

　詩織は恥ずかしがる様子もなく、堂々と教室に入ってきた。視線が集中する中を

そのまま歩いていき、自分の席に腰を下ろすと教科書やノートを取り出して授業の

準備を始めた。どの動作も自然で、ぎこちないところなど少しもなかった。私は感嘆

するような気持ちで、詩織の姿を見つめていた。どうしたらあんな風にできるのだろ

う･･････そう思わずにはいられなかった。

　生徒たちは敏感だ。誰も始業式の日のことを、口に出しはしなかった。女子生徒

たちは先を争うようにして、詩織の周りに群がった。

「ずっとお休みしてたから心配してたんだよ」

「病気だったら、お見舞いに行こうと思ってたんだ」

「わからないことがあったら、何でも聞いてね」

　瞬く間に、女子生徒たちの輪ができ上がった。詩織も始業式の人は違い、ちゃん

と受け答えしている。私はほっとしたのと同時に、ほんの少し淋しいような気持ちに

なった。昨日あんなに近くにいた詩織が、手の届かないところへ行ってしまったよう

な気がした。

「弥生ちゃん、弥生ちゃんはどこ？」

　女子生徒たちの輪の中から、詩織の声が聞こえた。私は驚いて立ち上がった。

「あ、そこにいたの」

　私を見つけた詩織が嬉しそうに声を上げると、周りを取り囲んでいた女子生徒た

ちの目が一斉にこちらへ向けられた。私はそれだけでどぎまぎしてしまい、

「一時間目は国語でいいんだよね」

　詩織の問いかけに、すぐに答えることができなかった。

「そうだよ、国語だよ」

　隣にいた女子生徒が代わりに答えてくれた。そして教科書をめくろうと手を伸ばし

かけた時、

「触らないでよ」

　詩織がはねつけるように言った。

「詩織は弥生ちゃんに教えてもらうんだから」

　代わりに答えた女子生徒は、悪いことでもしたようにびくっと手を引っ込めた。周

囲にいた女子生徒たちが、素早く目を見合わせたのがわかった。

「弥生ちゃん、こっちに来て教えてよ」

　詩織はかまわず更に言う。私はどうすればいいのかわからず、その場に突っ立っ

ていた。詩織の傍に行きたいという気持ちと、みんなの目が怖いという気持ちの両

方が、私の中で大きくなったり小さくなったりした。

　じれったくなったか、

「早く来てよ」

　詩織が強い口調で言った。その瞬間、私は詩織の机に駆け寄った。みんなが見

ているのはわかったけれど、そんなことはどうでもよくなった。詩織が私を呼んでい

る･･････そのことが、他のどんなことよりもその時の私には重要に思われた。

　それから詩織と私は、何をするのも一緒だった。休み時間や昼休みはもちろん、

教室を移動する時や給食の列に並ぶ時、トイレに行く時さえも一緒だった。廊下を

歩く時は、必ず手をつないで歩いた。そういうことを思いつくのは、いつも詩織の方

だった。

「私たちは親友よ」

　詩織はよくそう言った。

「だから詩織と弥生ちゃんは、いつも一緒じゃなきゃいけないの」

　学校から帰ってからも、私たちはよく一緒に遊んだ。石蹴りやゴム段、お人形さん

ごっこやお店屋さんごっこ。自分たちでお話を作って、お姫様ごっこをすることもあ

った。私たちは双子のお姫様で、次々と降りかかってくる困難を力を合わせて乗り

越えていく。詩織が姉で、私が妹。名前はサファイア姫とルビー姫だった。

　ある日、今日は何をして遊ぼうかと相談していると、

「屋根裏部屋へ行ってみようか」

　詩織がこっそり囁いた。私は嬉しさで胸が高鳴った。夏中眺めていたとんがり帽

子の屋根の窓の中に、本当に入れるとは思っていなかった。

「でも、誰にも言っちゃだめだよ。これは、詩織と弥生ちゃんだけの秘密なんだから

ね」

　詩織の言葉に、私は唇を固く結んで頷いた。

　天井が斜めになった屋根裏部屋は、古い家具や置物などの保管場所に使われ

ているようだった。白い布がかけられた椅子やテーブル、たんすの上に無造作に

並べられた西洋人形やランプなどが、窓から差し込む秋の日差しに飴色に染まっ

ていた。私はまた、お話の世界へ迷い込んだような気持ちになった。今にも物陰か

ら、アリスや慌てウサギやトランプの兵隊たちが飛び出してきそうな気がした。

「詩織のパパは、飛行機に乗っていろんな国にお仕事しに行ってるの」

　詩織が言った。

「だから家にあるものは、みんな他所の国で買ってきたものばっかりなんだよ」

　なるほどと私は思った。道理で板張りの部屋にある家具や置物も、詩織の部屋に

ある人形やおもちゃも、見たことのないような物ばかりのはずだ。

「詩織も大きくなったら外国へ行くの。パパが約束してくれたんだから本当だよ。そ

したら本物のお姫様が住んでいたお城に住んで、そこから学校へ通うんだ。ほら、

これがそのお城、きれいでしょ？」

　詩織はたんすの小引き出しから、古いお城の写真が入った絵葉書を取り出した。

それがきれいかどうかはわからなかったけれど、お城であることに間違いなかっ

た。私はうっとりと絵葉書に見入った。本物のお姫様が住んでいたお城に住むな

んて、詩織にしかできないことだと思った。

「でも、お母さんと恵ちゃんはどうするの？ 一緒に行かないの？」

　私は気になって訊ねた。私は詩織のことが大好きだったけれど、いつも優しい笑

顔で迎えてくれるお母さんや可愛い恵ちゃんのことも好きだった。

「知らない」

　詩織は関心がなさそうに言った。

「パパは詩織と二人でって約束したんだもの、他の人を連れて行くわけにはいかな

いわよ。でも･･････」

　と詩織がこちらを向いた。

「弥生ちゃんなら、一緒に行ってもいいって言ってくれるかもしれない」

「本当？」

　私は声を上ずらせた。それが本当になったら、どんなにいいだろう。姉の五月は

すごく羨ましがるに違いない。母だって、もうちょっと私を可愛がっておけばよかった

と思うかもしれない。何しろ私は、本物のお姫様が住んでいたお城に住めるのだか

ら･･････。

「本当だよ。だって詩織と弥生ちゃんは親友だもん」

「嬉しい」

　私は思わず詩織に抱きついた。童話の中のアリスより、優しくて頼もしいと思っ

た。

　もっとも、二人で遊んでいる時の詩織が、いつもそんなふうだったわけではなかっ

た。むしろ、そうでないことの方が多かった。少しでも気に入らないことがあると、詩

織はすぐに癇癪を起こした。一旦癇癪を起こすと、私がいくら宥めても詩織はなか

なか機嫌を直してくれない。

「弥生ちゃんなんか大嫌い、もう絶対一緒に遊ばないからね」

　そう言われて、泣きながら家へ帰ったこともあった。詩織ちゃんに嫌われた･･････

そう思うと、私は胸が潰れそうに悲しくて、ご飯も喉を通らないぐらいだった。

　それでも翌日になると、詩織の機嫌は嘘のように直っていることが多かった。朝、

学校で顔をあわせると、

「おはよう」

　いつもと変わらぬ様子で声をかけてきて、お喋りを始める。私が戸惑っていると、

「どうしたの？ 元気ないじゃない」

　心配してくれたりする。始めは半信半疑の私も、すぐに詩織のペースに引き込ま

れ、胸が潰れそうに悲しかったことなど忘れてしまう。そしてまた、何をするのも一

緒になる。

　私はだんだん詩織の言いなりになっていった。詩織の気に入らなさそうなことは、

なるべくしないようにしたし言わないようにした。詩織ちゃんに嫌われたくない･･･

･･･その頃の私の頭にあったのは、その思いだけだった。