アリスの家2.


 

  夏休みも終わりに近づいたある日、いつものようにその家の前を通った私は驚

いて自転車を止めた。白い柵の向こうに、私と同い年ぐらいの女の子が立っていた

からだ。今まで何度もその家の前を通っていたけれど、人がいるのを見たのは初

めてだった。

 私は自転車のハンドルに手をかけたまま、しげしげとその女の子を見つめた。女

の子は袖の膨らんだピンク色のワンピースを着て、同じ色のリボンで長い髪を結ん

でいた。白い家をバックに緑の芝生の中に立っている姿は、愛らしい花のようだっ

た。本当にアリスが住んでいた・・・・・・私はとっさにそう思った。

 やがて女の子が私に気づき、こちらを向いた。私は笑いかけようとしたけれど、う

まく笑顔を作れなかった。女の子はじっとこちらを見つめている。私はそれで同意

が得られたような気がして、女の子に近づいて行こうとした。すると、

「あっちへ行け」

 女の子が低い声で言った。私は竦んだようになり、そのまま動けなくなってしまっ

た。

「あっちへ行けったら」

 叫ぶように言いながら、女の子がこちらに向かってきた。私は慌てて自転車に飛

び乗った。逃げなければいけない理由など何もなかったが、必死でペダルをこい

だ。何か得体の知れない恐ろしいものが、後ろから追いかけてくるような気がした。

 角を曲がり、もう大丈夫と思えるところまで来ると、私はようやく自転車を止めた。

そっと後ろを振り返り、様子を窺う。夏の終わりの日差しを浴びた家々は、いつもの

ようにひっそりと静まり返っていた。私はほっとして石垣の上に腰を下ろした。心臓

がまだ少しドキドキしている。あんな目つきで睨まれたのは初めてだった。

「あっちへ行け」

 と言われた時は、心臓をギュッとわし掴みにされたような気がした。私は何か悪い

ことでもしたのだろうかと考えてみた。そうでなければ、あんな怖い顔で睨まれるわ

けがない。

 けれどももちろん、私にわかるわけはなかった。女の子とはその日初めて会い、

私はただ見つめていただけなのだから。アリスの家にアリスはいた。だけどあれは

本物のアリスなんかじゃない・・・・・・私はそう思うことで傷ついた自分の心を慰め

た。

 始業式の日が来た。私はがっかりするような気持ちと嬉しいような気持ちの両方

を抱えながら学校へ行った。私にとって学校は、それほど楽しい場所ではなかっ

た。行きたくなくなるのはしょっちゅうだったし、学校なんてなければいいと思うこと

だってあった。それでも長い休みが続いていると、私は思ってしまうのだ。早く学校

が始まってみんなに会えればいいのに・・・・・、と。

 校庭での始業式が終わり、教室へ戻って席に座っていると、担任の清水先生が

一人の女の子を連れて入ってきた。

「転校生だ」

 あちことで囁く声がした。先生は頷いて、大きな声で言った。

「今日から四年二組に、新しいお友達が増えることになりました」

 私はただただ驚いて、転校生の顔を見つめていた。それは、私がとんがり帽子の

屋根の家で会った女の子だった。今日は白いワンピースを着て、長い髪は結ばず

にそのまま背中に垂らしている。そのせいか、この前会った時よりも、もっとアリス

に似て見えた。

「フジタニ シオリ さんです。みんな仲良くしましょうね」

 言いながら、先生が黒板にチョークで名前を書いた。

   藤谷 詩織

 ふじたに しおり

 私はとんがり帽子の屋根の家に、「藤谷」という表札が掛かっていたのを思い出し

た。同い年ぐらいと思った年齢も、ぴったり当たっている。それでも私には、目の前

に立っている女の子ととんがり帽子の屋根の家の庭に立っていた女の子が、同じ

女の子だとは信じられないような気持ちだった。だってアリスが学校へ来るなんて、

それも同じクラスに転校してくるなんて、私の作るお話の中でもあり得ないことだっ

た。

 生徒たちの反応は早かった。学級活動の時間が終わると、近くの席の女子生徒

たちがわっと詩織を取り囲んだ。

「どこから引っ越してきたの?」

「家はどの辺?」

「きょうだいはいる?」

 愛らしい詩織に、みんな興味津々のようだった。男子生徒たちでさえ、遠巻きにし

ながらちらちら様子を窺っている。私は少し離れたところから、その光景を眺めてい

た。輪の中に入って行きたい気持ちはあったのだが、あの時見た詩織の目つきが

忘れられなかった。何か睨みつけるような激しい目つき・・・・・・あんな目で見られる

のは二度と嫌だった。

 詩織はにこりともせずに、

「そう」

 とか、

「違う」

 とか、素っ気ない返事を繰り返している。質問ばかりされることに、うんざりしてい

るようだった。それでも周りの女子生徒たちは、詩織の傍を離れようとしない。詩織

の顔に、苛立ちの表情が浮かんできた。

 あ、だめ・・・・・・私がそう思ったのと、詩織が叫んだのとはほとんど同時だった。

「あっちへ行け」

 女子生徒たちは、何日か前に私がしたのと同じように、ぽかんと口をけたまま詩

織の顔を見つめた。何が起こったのかわからない・・・・・・という感じだった。詩織の

表情が、更に険しくなった。

「みんなあっちへ行け」

 詩織は地団太を踏むようにして、大声で叫んだ。柵のように取り囲んでいた女子

生徒たちの輪がさっと離れ、私の立っているところからも詩織の姿がはっきり見え

るようになった。詩織はあの日と同じように、怖い顔でみんなを睨みつけていた。怒

りのためか、身体が小刻みに震えている。私の中にあの日の怖さが蘇り、心臓が

ドキドキした。

「帰る」

 詩織は突然そう叫ぶと、ひったくるように鞄を掴んで駆け出した。生徒たちの間を

突っ切るように駆け抜けて行き、そのまま教室を出て行った。あっという間の出来

事で、止める間もなかった。生徒たちは呆気に取られたように、それぞれ顔を見合

わせた。何がそんなに詩織を怒らせたのか、もちろん誰にもわからなかった。