夏の贈り物2.


 それ以来、大志は神山家の使用人として振舞うようになった。親父さんとお
かみさんはいつも温かく迎えてくれ、本当の子供のように可愛がってくれた。話
を聞いた近所の人たちも大志に同情し、慰めや励ましの言葉をかけてくれた。
騙そうという気持ちがあったわけではない。ただあまりにみんな簡単に作り話を
信じてしまうので、今更引っ込みがつかなくなってしまったのだ。
 それに大志にとっては、人々の侮蔑を買うような神山家の一員と思われるよ
り、その使用人と思われている方がましだった。たとえ入退院を繰り返している
ようなアル中の父親だとしても、自分の地位を守ることしか頭にない雄造より、
愛すべきところがあるような気がした。
 都会から遊びに来る若い娘たちにも、大志は人気があった。おかみさんや親
父さんが、まるで自分の息子の自慢話をするように大志の美談を話して聞か
せるからだ。辛い境遇にもめげず明るく健気に働く少年・・・それは、若い娘た
ちがセンチメンタルな心をときめかす格好の材料となった。その上大志は、かな
りの美少年でもあった。すぐにセンチメンタルな話に魅了される娘たちにうんざ
りしながらも、大志は自分が生み出した健気な少年という役を演じ続けた。
 大志が童貞を喪失したのは高校二年生の夏だった。相手は浜から別荘の
ある高台へ登っていく途中にある、高級リゾートビラに東京から遊びに来てい
た女子大生だった。
「大志君、後で私たちの部屋へ遊びに来ない?」
 夕暮れの浜辺で、その女子大生は大志の耳元でこっそり囁いた。まだ未経
験だった大志は、誰の目にも美人と映るであろう年上の女子大生の顔が、息
がかかるほど近付けられたことにドギマギして顔を赤らめた。
「あ、赤くなってる。大志君て本当に可愛いね」
 そう言って笑った女子大生の口紅の色が、映画で見たドラキュラの唇のよう
に赤かったのを覚えている。
 約束に時間に訪ねて行くと、部屋にはその女子大生しかいなかった。
「この部屋、今日は空いてるのよ。だから今夜は朝まで一緒にいよう」
 その言葉の意味を、大志はちゃんとわかっていた。わかっていたからこそ、訪
ねていったのだ。その女子大生には、何の魅力も感じていなかった。大志はた
だ、女性の身体というものを知りたかっただけだ。
 結果は無残だった。気ばかり焦った大志は、何もする間もなく果ててしまっ
た。
「大志君、初めてだったの?」
 女子大生がびっくりしたように言った。大志はこの時初めて、舌を噛み切っ
て死んでしまいたいほどの恥辱というものを味わった。
「初めてなら初めてだって言ってくれればよかったのに。知ってたら、私がリード
してあげたんだから。ちょっと外で頭を冷やしてきたら? 次は失敗しないように、
ゆっくりいこうよ」
 部屋を出された大志は、濃紺の絨毯を敷き詰めたような夜空を見上げた。
頭上には、宝石の粉でも散りばめたみたいに、無数の星たちが瞬いていた。
何億光年もの彼方から、ひたすら光を送り続ける星たち。それは、人間がい
かにちっぽけな存在でしかないかということを、教えてくれているような気がし
た。
 このまま帰ろう・・・そう思って足を踏み出しかけた時、暗闇の中で唯一光を
放っている高台の別荘が目に入った。鬱蒼と茂った木々に囲まれた別荘は、
まるで宙に浮かぶ城のように見えた。それは富と権力の象徴でもあった。弱者
を蹴散らし、強者にへつらって手に入れたお城のような別荘。そこには一片の
尊敬にも値しないような奴らが住んでいる。大志の中に、またあの破滅的な気
持ちが湧き上がってきた。
 この浜へ遊びに来る娘たちも、あいつらと同じじゃないか。気取った顔をして
いても頭の中は空っぽで、親に金をせびって遊びまわることしか知らない。その
上平気で年下の少年を誘惑したりする。一片の尊敬にも値しないどころか、
唾を吐きかけて踏みにじる価値もない。そんな娘に笑い者のようにされて、黙
って引き下がるわけにはいかなかった。
 大志は扉を開けて部屋の中へ戻って行った。裸のままベッドに横たわってい
た女子大生は、大志が元気を取り戻したらしいのを見ると、嬉しげに微笑ん
だ。大志は仇討ちにでも向かうみたいに、ベッドへ突進していった。その後、女
子大生の言葉どおり、二人は朝まで一緒に過ごした。
 翌朝早く、大志はこっそり部屋を抜け出した。もう二度と、その女子大生に
会う気はなかった。別荘へ続く道を歩いて行きながら、大志は振り返って浜を
見下ろした。降り注ぐ朝日の中で、浜はいつもと同じように穏やかな波を打ち
寄せ、神々しいほどに輝いていた。大志はその眩しさに目がくらんだ。見慣れ
たはずの朝の浜辺を、直視することができなかった。大志はそれを、夜更かし
しすぎたせいだと思った。
 それから大志は、自分の方から積極的に娘たちに誘いをかけるようになった。
最初のうちはいかにも遊び人という感じの、男を何人も知っていそうな娘に限
られていたのだが、そのうち大人しそうな娘たちにも声をかけるようになった。い
ずれにしても大志が声をかけるのは、一見して暇と金を持て余している裕福な
家庭の娘たちだった。
 どんな娘たちも、大志が例の身の上話を聞かせるところりと騙された。みんな
涙さえ浮かべ、
「どんなに辛くてもがんばってね」
「私にできることがあったらいつでも力になるわ」
 異口同音に言った。大志の返す言葉は決まっていた。
「ありがとう。君のその言葉だけで、僕はまたがんばれるよ」
 騙しているという罪悪感を感じたことはなかった。どうせ彼女たちだって、半
分ぐらいはその場の気分で言っているのだ。夏休みの思い出の一齣ぐらいに
しか思っていないに決まっている。浜辺から離れれば、潮風の匂いを忘れるの
と同じように、大志のことなど忘れてしまうだろう。
 時には
「連絡先を教えて」
 と泣いて頼む子もいたが、そういう時の台詞も大志はちゃんと用意してあっ
た。
「俺と君とじゃ、住んでる世界が違うんだよ」
 ほとんどの娘たちが、この台詞を聞くと大人しく納得してくれた。何だかんだ
言っても、彼女たちには今の環境を捨ててまで好きな男の腕の中へ飛び込ん
でいく勇気などないのだった。
 もちろん中には例外もいた。
「大志君と一緒にいられるなら、家出してもいい」
 などと、馬鹿なことを言い出す娘がいる。そういう時こそ、大志の腕の見せ所
だった。感激した振りをして、
「君がそこまで言ってくれるんなら、俺も覚悟を決めてがんばるよ。あと、5年待
ってくれないか。5年たてば、俺の生活も少しは安定してると思うから。それま
では、毎年この浜で会うことにしよう。1年に1度しか会えなくても、淋しくなん
かないさ。俺たちは、こんなに強く心が結ばれてるんだから」
 普段なら思い浮かべるのも恥ずかしくなるような言葉が、すらすらと口から出
てきた。それらの言葉は、レンタルショップで借りた洋画のDVDを観て仕入れ
た。
「わかった。5年たったら、絶対迎えに来てね。私、ずっと待ってるから」
 娘たちは連絡先を書いたメモを残し、涙ながらに帰っていく。大志もそれを、
悲しげな顔で見送る。
 けれども、大志は娘たちが帰っていくと、すぐに渡されたメモを破いて捨ててし
まう。もちろん、5年たったら迎えに行くなんて約束はでたらめだった。毎年この
浜辺で会おうというのも口から出任せで、訪ねてきたところで会うつもりなどな
かった。それでも今まで、困った状況に陥るようなことはなかった。その台詞を
使うようになって4年になるが、再びこの浜辺を訪れる娘など一人もいなかっ
たからだ。
 娘たちはただ、そういうシチュエーションに憧れているだけなのだ。辛い境遇に
ある男との許されない恋・・・たった数日間だったけど、自分はそういう恋をした
ことがある。その思い出だけで、彼女たちは満足なのだ。誰も本気で5年待と
うだなんて思ってやしない。
 どいつもこいつも薄汚い奴ばかりだ。裕福な人間というのはどうしてこう、計
算高い臆病者ばかりなのだろう。今の生活を捨てる勇気なんかないくせに、そ
ういう恋の実感だけは味わってみたいのだ。そんなに悲恋物語の主人公にな
りたいなら、お望みどおりしてやろうじゃないか。大志は無謀な狩りを続けるハ
ンターのように、次から次へと娘たちをものにしていった。